常識とは、社会人が持つべきとされる共通の知識や判断力のこととされます。
この「べき論」が強くなると、時には無言の圧力となって人々の行動を規制することとなります。
気の弱い人や周りを気にする人は、自分の帰属するグループの常識という安全地帯で自分の居場所を確保しようとします。
そこで居心地がよくなると、もうそこから出ようとしないから、新たなことをしようとしません。それでは結果的に大きなことも成すことができないことでしょう。
確かに常識とされてきたことを破ろうとすると、非常識な人として非難されます。
でも、常識に疑問を持ち、これまでの価値観から逸脱することを恐れず、「非常識な人」という非難と戦える勇気と気力のある人が抜きんでていくのではないでしょうか。
これは創業者が備える特質のようにも思います。
今は高度成長期を経て大衆文化が物質的に栄え、ローカル社会も昭和20年代や30年代と比べて比較にならぬほど豊かになり、バブルがはじけても20年以上安定していました。
(ここではこの良し悪しや、近年の富の偏在問題の議論はしません)
多くの人(労働者)は敗戦後につくられた常識に安住し、新たに自分から何をすべきか考え、何かを求めて行動しなくなってしまったのかもしれません。
ここにビジネスチャンスがあるとして、攻め手を見出す人(経営者・革新者)が、停滞・衰退業種とか言われる中でも、びっくりするほど良い業績を見せています。
[ 更新:2017-08-03 06:10:44 ]