新人セールスマン時代の朝礼の唱和を書いていると、40年前のことがいろいろ思い出されます。これもいいものですね!
唱和の最後は「全員セールスマンとなって、商魂に徹しよう!」で締めくくられました。
まさに昭和の時代らしいでしょう。
「全員セールスマンとなって、商魂に徹しよう!」と唱和するだけでは全員がセールスマンになりません。
それは今も同じと思います。
全員がセールスマンになる仕組みをつくって、運用しているかどうかの差が大きくなります。
新車と中古のセールスマンは、自分の本業である販売にいそしむといいだけです。
事務方やメカニックが、自社取り扱い車種(コロナ・マークⅡ.ハイエース・トヨエース・コロナバン等々)の情報提供力があるかどうかです。
当時は、社内情報で成約に至ると、情報提供社員に500円ないし1000円の報奨金(情報提供謝金)という制度があったように記憶しています。
私たちは、公務員になるのでもなければ、「販売なくして分配なし」が資本主義の世界です。
営業職でなかろうと、何か機会があれば、「自社の販売と粗利と回収につながる貢献をしようと」思うと社員が多いのと、少ないのとでは全く違います。
不思議なもので、この気持ちのエネルギーは大きな力となるものです。経験上、理屈の世界とは別物ですよ。
お断りしますが、運命論や精神論を推奨するものではありません。
売りたい、買って欲しい、買っていやだきたい、買う人は誰かいるはずだ、買いたい人はどこかにいるはずだ、どこかで巡り合うはずだ、どこかに商談案件はないか・・・等々本気考えて、動いているとチャンスが現れます。
万策尽きたときに、初心に帰り飛び込み訪問に戻ると、まったく別ルートで商談案件が出てきたことが何度もありました。
これが商魂かどうかは別にして、セールスマンは売るのが仕事。拘束される勤務時間は、売りを考え、売りにつながる行動をするのが当たり前。そのための社内教育体制は、当時でも充実していました。
[ 更新:2017-06-12 07:07:17 ]