これは私が社会人一年生の勤務先の社訓の一つで、毎日の朝礼で唱和していたもの。今もしっかり記憶している。
組織の安定と調和に、規律(ルール)を守り、社会人としての礼儀を正しくすることは必須と、今では当たり前と思える。
当時は、いい大人が、毎日毎朝同じことの唱和を繰り返すことが疑問であった。
マンネリや惰性の唱和は不要だが、自分に浸み込ませるにはあってもいいと思えるようにはなってきた。
自分も年齢を重ねることで、規律が守れない組織やマナーがなっていない組織では、意思疎通(コミュニケーション)が取れないことに気付いた。
さらにこのようなレベルの組織では、相互理解や納得・共感というステップの前の、自己主張や他者否定が強いことにも気付いた。
意見の対立があり、せめぎ合っても、その次に折り合って合意して協働するから調和のとれた組織になっていく。
批判や対立が続き、不信感や不満感がつのっては、組織力以前の「個人単位」での仕事となるから、個人の実力以上の力が発揮されることがない。
自分の個性は殺す必要もないし、個性を矯正する必要もないと思うが、組織の中での自分の個性の発揮(自己実現)には、自分が帰属する地域社会や帰属する会社組織の中での「自分に期待される役割を果たす」ことが前提となるのではないだろうか。
この前提で折り合えない人であれば、今の組織にとどまってはいけないと思うこの頃である。
[ 更新:2017-06-09 08:30:53 ]