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気がついたら自分が一番年長になっている

これは最近の私の偽らざる印象です。若干年長の方が居る時もありますが、私より年少の方が圧倒的になった近年です。

23年余りのサラリーマン時代と17年の自営業生活を振り返ると、本当にいろいろなことがありました。
まず世の中が変わりますから会社も変わるし、仕事の進め方も変わって行きました。
親しい人も替わり、関わる人もどんどん変わり、年の離れた年長者は現役世代を離れ、お亡くなりになった方が出てきてます。
自分より10歳以上下の方との価値観は、かなり違っているとも感じます。良いとか悪いではなく、かなり違ってきていると感じます。
昭和50年代の若い頃は、当時勤めて会社もまた若かったし、営業職だったので、毎日夜遅くまで働き、新車の展示会や商談となれば休日出勤も当たり前。夜9時過ぎから自宅に車を置いて、日にちが変わるまで先輩上司や仲間同士で飲みに行ったりもしていました。この当時は営業手当だけで、残業代は原則なし。
バブル期は税理士事務所に職を変えていたのと、転職早々だったので、私はバブルの恩恵は全くありませんでした。根クラで地道に税務会計の勉強を続け、早く実力をつけなくてはという時期でもありました。転職後1年間は残業代がつきましたが、2年目からは営業職と同じ扱いで残業代はないままでした。
どちらの仕事も長時間労働が普通でしたが、努力は何らかの形で報われる時代でした。
好きで無理をしていたこともありましたが、営業職では自分がノルマを達成しても、所属する部署が割り当てに届かないと他人のノルマが毎月加算されることと、いくら売っても月が替わるとゼロにリセットされての再スタートに、若い私は虚しさを感じて転職を選びました。
税理士事務所は学んだ知識がすぐ仕事に活かせますから、自分の知識と経験量が仕事の質にストレートの反映される喜びがありました。所員の育成にとても熱心な所長先生でしたので、在職中は私が一番研修費を使ったものでした。
でも最後は仕事の量が増えすぎて、私の対応力を超えて、悲しいかな業務品質が明らかに落ち、体調も整わぬために退職を選びました。
営業職の退職は、営業職に不適合、売れないという現実が、多くのセールスマンの退職理由の主なものでした。
税理士事務所では、自分のイメージでの仕事ではないとか、先輩に追いつけそうもないから辞めるとか、こんなに覚えることが多いと思わなかったというのが私より若い世代の退職理由でした。
中には5年以上経っても会計センスが全く身につかず、退職を勧告した人も若干名いましたが、勤続3年の壁を超えた人は皆長期勤務となりました。当時の仕事仲間は、自分に税理士資格がなくとも、俺は税理士と同等以上の仕事をする、というプライドと意識のある人がそろっていた税理士事務所だったと思います。
話しは変わって、誰もが生まれた時代を選べないし、会社は選べても上司は選べないものです。
それに人口減と高齢化が同時に進む今の時代は、過去のように毎年高い成長が望めない時代になっていますから、一つの会社でがむしゃらに働く方がいいのか、会社にこだわらず自分のスタイルで働く方がいいのか、どちらかが絶対正解ではなくなりました。
中高年という年代に入った方へのお願いは、自分のためにも若手のためにも、もう一度会社の可能性を求めて、新たなことに取り組む最後のチャンスを今迎えていると受け止めて、若手と一緒にもうひと頑張りしていただきたいということです。
中高年の人は、自分たちの知らないいい時期を経験した後に、淡々とマイペースで日々の仕事をこなしながら、迫る定年退職で逃げ切ろうとしているように見えるなら、寂しい職業人生の締めくくりではないでしょうか。

[ 更新:2016-11-15 16:22:11 ]

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