若い時の私は朝礼と経営理念の唱和が嫌いでした。管理職の肩書がつき、40歳前後になると、朝礼も意義があると思うようになりました。
サラリーマン時代の勤務先では、毎日朝礼の際にスタッフ全員で経営理念の唱和をしていました。
毎日毎日朝礼で経営理念の唱和を続けていると、私も知らず知らずに経営理念を暗唱できるようになりました。
年齢を重ねるに従い、少しずつですが経営理念の意義や意味を、自分なりに理由づけするようになっていきました。
役割などで朝礼の司会進行をする際に、前に立ちスタッフの顔を見る位置に立つと、スタッフの心境が良く表れていることにも気づきました。
ですから、スタッフ全員の理念教育や意識統一には、朝礼で経営理念の唱和を続けることは効果的であると思っていました。
そのうち、朝礼はどうしてもマンネリ化していきます。
その後、スタッフの誰かから「朝礼なんてしなくていいんじゃない!意味あるの?」と言う声が聞こえてきます。
でも内心では、「いや朝礼はしないより、した方が良い」と思っていました。
現実には早出のスタッフや出張のスタッフがいて、朝礼に全員参加できない日は少なからずあったわけです。
それでも仕事や考え方に特別な問題が起きたわけでもないのです。
ある時クールにスタッフの仕事振りや言動を観察し直すと、スタッフが朝礼で唱和していることが、業務の中で必ずしも実行できているとも限らないし、経営理念を暗唱していない人もいるし、経営理念の意義や意味を自分なりに考えたことのない人もいるわけです。
朝礼の教育効果は限定的かもしれないと、私が感じた時でした。
[ 更新:2016-08-19 08:30:57 ]