「自由な意思」はあるのだろうか? 自分の心のままに、誰からも束縛されず、自分の考えを貫くことはどこまで可能だろうか?
自分の心のままに、誰からも束縛されず、自分の考えを持つことはできると思う。それをどの場面でも表に出して、妥協することなく貫くことは難しいと思う。だって、人生で、何から何までいつもうまくいくことはないから。
「宿命(前世から定まった運命)」があるかどうかは分からないけれど、人生に決定論はない思っている。でも、理屈で説明がつかないことが起きるとも思っている。
何が起きても、自分なりの覚悟をもって生きるしかない。
迷いが出てきた時は、今の目の前に集中するといい。というのも、目の前の相手の言葉は、誠心誠意聴くと良いことが増える。そして、自分が言ったことは、責任をもってすぐに実行すると、やはり良いことが増えるから。
作家の司馬遼太郎さんは次のように言っていたそうだ。
「文化(人間の精神)は必ずしも広く行き渡るものではないが、文明(世の中が開き進むこと)は普遍的なものとなる。
どの企業にもどの家庭にも、伝統や文化、暗黙知があるもの。
文化(人間の精神)は衝突するものだから、広く文明(世の中が開き進むこと)にするには数百年かかる。だから、相手は尊重し、相手の不足は補う。」
多くの歴史小説を生み出されたうえでの、司馬遼太郎さんの人間観であり歴史観なのでしょうね。
普段は無意識であっても、私たちは大きな歴史の流れの中で小さく生きているし、今朝も苫小牧は余震(震度3くらい)があったけど、自然現象のかたわらに生きているのは事実。
何も考えずにただ生きることもできるけど、同じ生きるなら毎日ほんの少しでも良くなろうと生きる、良くして行こうと生きていると、よき人との出会いが増えていくように思う。
[ 更新:2018-10-05 11:10:45 ]