人はその人に備わった器がありますね。 その器は器量。器量は顔立ちであり、才覚もあります。
どんどん伸ばせる人もいれば、自分のものでありながら使いこなせない人もいれば、その大きさや良さが分からないままの人もいます。勿体ないことです。
私の場合は大化けはできないし、自分の器以上に抜けられないけれど、今の自分が実力そのものと思っています。
親に無かったものが、自分に現れるものでもないでしょうしね。
仕事で技術者や職人さん達と接して思うことです。
一見何でもないように見えること、簡単に見えること、ムダに感じること、そんな日々のさりげない動作に、これまでのミスや失敗の苦しみや悲しみを通じて、創意工夫や智慧や発見が込めれれての今の動作になっていますね。
そこには素人が簡単にまねのできない、大きな実力差があります。
身体の動かし方、手や指の動かし方、力加減や道具の扱いに至るまで、その人の就業年数分の歴史があり、多くの人の長年の苦労の結晶が凝縮されていると思います。
偶然や気まぐれではなく、生産に携わる人たちの心労の結果、習得されたもの。
肉体作業であっても頭脳労働であっても能率的でありたいし、顧客の納得と満足という評価を得るための仕上がりのために力を尽くして、今の美さになったのでしょう。
このような人たちに「感謝」は欠かせないと思います。
[ 更新:2018-08-16 14:23:48 ]