繰返し、繰り返しやっているうちに、それが当たり前のこととなる。その積み重ねで当たり前のレベルを高め続ける会社が生き残る。
今までと同じことしかやらない、新しいことはやろうとしないか、やってもすぐやめてしまうようでは、以前のことが当たり前で普通のレベルになっているだけ。
繰返してやる習慣、決めたことは無意識でできるようになるまで繰り返す風土をつくるには、お手本となるやる人がいて、決めたことはやらせる鬼上司がいて、やったことで成果が上がれば適切に分配する経営者が必要。
各階層で、個々の役わりを愚直に果たすなら、新しいことも時間とともに定着し、気が付くと当たり前のレベルも上がっていくものです。
「さぼり」や「わがまま」を肯定したり、黙認したり、放任したらどうなるでしょうか?
組織の当たり前レベルが低い会社では、「さぼり」や「わがまま」を結果的に肯定し、黙認し、放任し、許しています。
そして本人の問題として終わらせ、管理の質や内容は通過しています。
ここを何とかしないと、組織レベルは簡単に上がりません。
聖書の「コリント人の手紙」には次のように書かれているそうです。
艱難(困難にあって苦しみ、悩むこと)は忍耐(そのつらさ、苦しさ、怒りをじっと我慢し耐え忍ぶこと)を生じ、
忍耐(そのつらさ、苦しさ、怒りをじっと我慢し耐え忍ぶこと)は練達(熟練しその奥義=最も肝心なことをつかむ)を生じ、
練達(熟練しその奥義=最も肝心なことをつかむ)は希望(未来に望みをかける)を生ず。
試練は自己成長の最高のステージだから、そのステージでの演技が審査員の衆目を集めていると思えるかどうかが分かれ道になるようです。
[ 更新:2020-12-22 11:08:02 ]