以前は数えられないくらい自己嫌悪に陥りました。
私の年になると、まず謝る、お詫びする、許しを請う、そして関係性の継続を工夫することを優先します。自己嫌悪で落ち込んでいるだけでは、問題可決に時間が空かるばかりですからね。
色々な人がいますし、その人の内心はわかりません。うわべと内実は違う人もいると思います。
ノー天気とは言わないけれど、迷うことのない人は、悩むことない人は自己嫌悪にはならいことでしょう。
自分に自信をもっていて、自己肯定感の強い人は、自己嫌悪になることは少ないでしょう。
いつもマイペース型で、自分の置かれた立場に不平も不満もなく、無理せずに気楽にやっていく人も、自己嫌悪になりにくいことでしょう。
自分は自分、人は人と割り切る人も、自己嫌悪には関係なさそう。
他人を攻撃するのが得意で、自分を顧みない人も、自己嫌悪にならないかもしれない。
でも、組織力や組織の秩序を考えると、40才を過ぎてなすべきことを、なすべき時にしないのは、控えめではなく身勝手と思うこの頃。
皆の期待に応えようとして、自分の能力いっぱいに頑張る人を、点数稼ぎとか良い恰好しいとか言ってはいけないと思う。
中高年になっても、頑固で、歪んだ感情を吐き出す人は、自己客観化を拒みたい何かが、彼の心にあるような気がする。それは劣等感なのか、ひがみなのか、人生の葛藤の現われかなのかは、表面だけでは分からない。
人の成長を見ると、幼児期の自己中心の時代があり、学齢期は親や先生たちの他者中心のある意味従属時代を経験し、社会人となっては現実のありとあらゆる気象の中でいろいろな経験を積んで成長していく。
青年期は高い理想を求めて、きれいな夢物語を見ながら、現実とのギャップに悩み苦しみながら10年、15年と歳月を重ねて、完璧主義や潔癖主義ではこの世と折り合えないことを学んでいく。
そうして現実的な折り合い方を習得してくものではなかろうか。自分自身がそうだったように。
[ 更新:2020-01-01 16:43:13 ]