序文にいきなり「日本の道徳は差別の道徳なり」・・・
本人は差別意識は全くないと思っているでしょうが、「知人と非知人」「集団内と集団外」での扱いの差は、確かにかなりありましたね。今でも初めての集団の行事に参加すると、居住まいの悪さというのか、集団の中での孤独感を感じることがあります。
自分にとって初めての集団のことは知らないことだらけ。集団による常識の違いもあるし、これまでの経験からの誤解や錯覚も普通に起きます。間に入って取り持ってくれる人や、その集団の中での立ち居振る舞いを教えてくれる人がいるといいけれど、冷ややかに見られるとか、誰も声をかけてもくれないとか、こちらから話しかけても知らんふりとなると、自分にとっては最悪です。
この場の空気を乱すとはとんでもないと言われても、乱している自覚のない自分は、居場所がなくなります。
山本七平さんは、「日本人は論理的判断のl基準と、空気的判断の基準との二重基準(ダブルスタンダード)の中に生きる」と書かれます。確かに組織診断をしても、表の組織図(フォーマル組織)上の組織運営がされているところもありますが、裏の組織構造(インフォーマルの組織)が圧倒的な力を持っていることも珍しくないです。
更に山本七平さんは、「議論における言葉の交換それ自体が一種の空気を醸成していき、最終的にはその空気が決断の基準となる」と書かれます。オーナー型中小企業では、その空気とはトップの顔色やトップの意向そのものということも普通に起きます。オーナー型中小企業でボトムアップが機能しない理由がここにあります。また、経営の改善は、下からではなく上かろ、というのも、このためでもあります。
[ 更新:2020-01-01 15:47:40 ]