今年も宜しくお願い致します。
昨年、遠藤周作さんのエッセー「心の夜想曲」を読み直しました。
昨年起きた仕事でのトラブルに、理由が分からず困惑していたのですが、納得できるヒントをもらいました。
一つは「キリスト教文学者にとっての無意識」の解説です。
無意識とは「抑圧した欲望や感情が溜まった心の場所である」というのです。そして「その抑圧したものは消滅せず、ゆがんだ形で噴出してくる」という説明に妙に納得しました。
親は普通と思ってるし、親の話を聴いても普通と思うものの、子にとって「抑圧した欲望や感情が溜まった心」があれば、「ゆがんだ形で噴出してくる」とするなら、あのような出来事も起きるべくして起きたのか・・・と思えることがありました。
でも、これだけでは問題の解決に進めません。
遠藤周作さんはこの本で「罪と救いは表裏一体」と書かれています。
罪を悔いて反省し、救いを求め、再生願望のある人は救われる可能性があるというように読めました。
遠藤周作さんは次のようにも書かれています。
「罪は救いの可能性があるが、悪は堕ちる。ひたすら堕ちる。どこまでも堕ちていく」と。怖いものがありますね。
そして次のようにも書かれています。
「『いじめ』は、いじめをする側に快感衝動がある。無抵抗、無力な相手を苛める快感がある」と。
いまだに減ることのない学校でのいじめ問題や、会社でのハラスメント問題も、このような根深いものがあるのかもしれません。
話は代わって、作家である遠藤周作さんは、「心の琴線、心の原型に刺激を与えぬ作品は、結局は騒がれても忘れ去られるだろう」とも書いています。
話題となることと売れることは違うし、売れ続けることはもっと違う、ということと通じるように感じました。
[ 更新:2020-01-01 15:10:06 ]