親や先祖の善悪も、自分の受け止め方次第
誰にでも先祖はある。自分に配偶者や子供がいなくとも、両親はいるし祖父母もいる。
もう亡くなっているかもしれないが、会ったこともないかもしれないが、祖父母がいて両親がいたから自分が生まれた。
理由を考えても、考えなくても、その意味が分かっても分からなくても、自分が生まれて今生きていることには、その元があることに何ら変わらない。
「先祖の善悪は、子孫である自分がそれをどう受け止めるかによって決まるだけ。」
他人がどうであろうと、自の分経験がどうであろうとも、自分の先祖の受け止め方は自分の気持ち次第で何とでもなっていくし、評価の仕方は変化もしていく。
主体的な生き方、自己責任の生き方を見失った人は、自分の非を他人のせいにするし、自分が苦しくなると、その原因を他に求めたがる。責任転嫁の発想だ。愚痴が多く、自分で責任をもって解決できないし、自分から解決する気もないから実に頼りない。そうやって、自分を棚に上げ、40歳を超えて親を恨み、先祖を呪って幸せになれるのか。
感謝の気持ちが起きて、人はやっと人間らしくなれる。
親孝行は、親に対する孝行であるとともに、自分に対する誇りの表し方でもある。
時には自分から意識して、今自分がしている仕事の意味を考えることは必要であり、今の自分の家族について静かに考えることも必要ではないだろうか。
[ 更新:2017-09-07 09:11:55 ]