「経験を積む」とは勤続年数の積み重ねによる単純な経験の量ということではない。「働き方の成熟」となって経験を積んだといえる。
今日も仕事が嬉しい、仕事のあることが楽しいと自分の内部で働く喜びが躍動するようになって、その人は一人前の職場仲間として組織に認知されるのではないだろうか。
それはただ「まじめに働く」という勤労精神とは別のものである。年齢に応じて人の肉体が成長していくように、勤続年数の累積によって働き方が成熟していくことが社会人としての成長ではないだろうか。この階段を昇ることなしに、後輩社員は職場でベテラン先輩社員たちと対等に言葉を交わす事はできないし、自分の居場所も見いだせない。そして仕事の成熟にとって欠かせないのが自分のやった仕事に対する責任だ。
最近の若手社員に増えつつあるが、旧来の仕事の中に新たな自己実現を求めて突き進もうとする。従来の仕事を与えられながらも、若手が自己実現を計ろうと新たな仕事を認めさせようとする営みの切実さが共感の導火線に火をつけるのであり、先輩社員の共感の熱さが若手の努力を保証し、組織の人の協力を引き出し、バックアップに結びつけていくのだろう。
だとしたら、企業内の人間のあり方には、協調性や順応性といった面だけではなく、自分自身のためにいかに働くかという積極的な意志の基点も自己実現には欠かせない。
作家の黒井千次氏は「働くということ」で次のように語っていた。
「かつてぼくは、会社での仕事を決して一生のものと考えず、実社会を学ぶための手段として受止めていた。しかし、初めの三,四年が過ぎたとき、ぼくにわかったのは、会社などというものはそのくらいの期間を中ですごしても、なにもわかりはしないのだという厳粛な事実であった。」
[ 更新:2015-09-21 08:56:25 ]