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経営コンサルタント吉見からのお知らせ

平田 オリザ氏「変わりゆく日本語 変わりゆく演劇」

2003年8月2日 苫小牧市民会館での講演。今から12年も前の内容を読み返すと、まさに今のスマホ時代の到来を予言している感じです。当時吉見が印象に残った事柄をまとめました。

共同体は、長期でコンテクスト(CONTEXT)を摺り寄せる。演劇は、短期でコンテクストを摺り寄せる。
芸術は人に差異があることを前提とし、「どの作品を一緒に創作できますか?」というもの。
芸術家の視点は公共性。社会との接点と公共性を対価性との絡みを含め考える。

大きな運命が誘引となり本質に気づかされる。
今後、自己判断と自己責任で生きていく時代に変化した。既存の価値観が崩れ、新しいコミュニケーション手法が必要になってきている。

一人一人の生き方、価値観の多様化・・・自分の生き方が優先する時代
バラバラを前提とし、バラバラの人間がどう共同体やコミュニティを形成するか・・・新しいコミュニケーション=対話型社会(対話精神:知らない人との価値の交換)は価値観のすり合わせが重要。
人間は個々人のコンテクスト(環境)の内か外かで判断や行動をしている。
今の高校生は、「他者との出会いが少ない」という現状にある。

「人間一人一人違う価値観を有する」ことを尊重し、コミュニケーションをとる。
 ・緩やかなネットワーク造り(従来の農耕型の強固なネットワーク社会は崩れた)
 ・産業構造の転換…教育は、発想・柔軟性・コミュニケーションの保有力が重要。
 ・感性は、消費者レベルで感じ取るもの。


日本語・・・世界で10番目の規模の言語でありながら日本でしか話されない。徳川鎖国3百年で日本では会話の論理(短歌や俳句)が発達。
日本は「分かり合う」文化、「察し合う」文化。
一方欧州は他者に説明しあう文化⇒対話能力が磨かれる。対話と会話は異なる。
*韓国では儒教の影響か、対話をする相手と自分の年齢により敬語の使い分けのルールが日本語以上に複雑でもある。

1979年当時のアメリカにおける地方都市の風景と、今の日本の地方都市が良く似ている。利便性の追求の消費社会により失われたものは、コミュニケーションの時間と空間。地方都市の方が無駄なものが排除される傾向が強い。それがコミュニケーションスペースの排除となって現れる。

東京も地方都市も人の才能に差異は無い。しかし切磋琢磨する場所や適切な評論をしてくれる人や場には差が大きい。「批評の機能」がないのが地方。

人工広場としての劇場・美術館・ホール等が弱者や少数者を取り込み、社会参加の意見を吸収する。非日常の出会いの(エンカウンター)場を提供する。ハコ物を総合プロデュースできる人財(芸術監督)の登用が必須。

納税者、有権者サービスから、明日の市民へ行政サービスを転換。ムラ社会原理を転換する。
長期的スパンでの人材の育成⇒民間の仕事である。
行政において、教育部門(教育委員会)と文化・芸術部門(支庁企画室に位置)は別組織が望ましい。

[ 更新:2015-09-19 14:19:38 ]

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