「徳」などというと、私には大いに不足するものであるが、私の使う国語辞書では「徳」とは、「生来持っていたり、修養により得たりしたすぐれた力や人格」とある。
中国の儒学者であった司馬光という人は、中国古典『資治通鑑(しじつがん)』の「君子小人の弁」という一節で、「上に立つ者は才よりも徳を重んじなければならない。そして自身も、地位が上がれば上がるほど徳が一層重要になってくる。」と表したそうだ。
私に縁がないだけだろうが、聖人、つまり才徳兼備で智・仁・勇のすべてを達成した人は本当に稀だと思う。多くはどちらかに偏ったり、あるいは何かが不足したり、欠けているのが人間と思う。
荒井桂氏(郷学研修所、安岡正篤記念館所長)は、「そのような中で、徳が才に勝る者が君子であり、才が徳に勝る人が小人、徳も才もない人を愚人という。聖人や君子とともに政治を行うにこしたことはないが、それが叶わない場合には、小人よりも愚人をとるべきだ。」「小人は、有能であっても邪な目的のためにその能力を使う可能性が高いという点で弊害が多いが、愚人はその才もないのだからデメリットは少ないというんです。」
折しも日本は衆議院選挙が終わったばかり。日本の将来を背負う政治家が、日本という国家や国民への考え方がマイナスであり、自分自身の欲がギラツキ、ヴァイタリティにあふれ実行力が大きければ大きいほど、国家の行く末や国民生活を狂わせる結果になってしまう。
等身大の中小企業では、どんな人でも何か人のためにできないかという思いが一番大事だ。関わる相手のためにという思いが、その人を支えて、伸ばして、引き立ててくれる。自分の欲を離れ、関わる人のために何かをしようと思ったら、タイムラグはあるけれど必ず目に見えない何かが出てきて助けてくれるものだ。それが「お陰」というと教えられた。
お釈迦様は亡くなる時に、「すべてのものは うつりゆく おこたらずつとめよ」といって亡くなられたそうだが、確かに最初は難しいことだらけと思う。「怠らず努める。」ことを言いかえると「一事貫行」だから、貫きとおす決意と持続する行動力が問われる。人生の先達は、「誰でも素直にやろうと思えばできることですよ、ます相手のために与えることですよ」と教えてくれる。今日からこれまで以上に関わりとご縁を大事にしていこう。それが相互補完の基本だ。
[ 更新:2009-09-02 16:36:45 ]