12月にお客様を訪問しながら、来年の経営管理方針の確認作業をして参りました。
私の事務所通信1月号に少し書く予定です。
資本主義経済の解釈と新しい年の迎えかたについて、知研会長八木氏のブログと宗文州氏のメルマガからピックアップしたものを添付します。
総論として参考にしていただければと思います。
水野和夫のグローバル経済論 大きな物語の終わり 次からの引用です(http://plaza.rakuten.co.jp/gendaiturezure/diary/200812210000/)
16世紀以来、国家と資本主義経済が結婚し、「インフレがすべての怪我を治す」、つまり500年間ずっとインフレが続いてきて、それで儲けて、あれこれの損失をうやむやにしてきたのだという。
つまり最近まで経済成長率は物価成長率と二人三脚だった。なぜ商人たちがインフレを好んだかというと、過去に仕入れた物や資産が値上がりすればじっとしていてももうかるし、借金の負担も軽減したからである。だから資本主義国では値付けはできるだけ高くつけ、競争でやむを得ない時だけ値下げした。一方、資本主義でない植民地や後進国では物価は上がらないから、先進国の資本主義がそこから物資をもってくれば格差でもうかった。アフリカの土人とブリキの洗面器1個と象牙1本を交換したようなものである。
一人の皇帝が膨大な地域の人民を支配していた帝国の時代が16世紀頃から国家に分裂するが、ナポレオン時代から民族国家がどんどん共和制国家をつくって、資本主義と固く結びあう。民族が同じだとか、言語、宗教が同じだとか、地理的にもまとまりやすいとかいう地域が国家をつくって強力な支配層が生まれ、軍備を拡張し、兵器を量産できる工業を起こすなどして近代化を始めるとどんどん周辺国を併合し、植民地を侵略・獲得していく。
資本主義はこれとぴったりよりそっていたわけである。
例えば日本は明治以来、国家は主導してどんどん富国強兵して領土を増やし、第二次大戦までにアジア最強の国になった。戦争に負けると、今度は復興、先進国に追い付け追い越せでこれまた国家が旗を振って傾斜生産、エネルギー革命、外資導入などで、世界第二といわれるほどの豊かな国になった。
つまり「大きな物語」の時代である。大きな政府が機能した時代である。
ところが2000年あたりからどうも大きな政府はお荷物になってきた。財政赤字がどんどんたまるし、毎年30兆円ほどの赤字国債を出さねばならない。こんなことをいつまでもやるわけにはいかないと小泉内閣時代に「小さな政府」を目指した。規制を緩和し、政府はいちいち民間を指導、拘束しない、市場主義でやれといったら、とたんに悪徳商人が出てゴマカシ、手抜きをやり、資本主義の悪い面がどっと出てきた。資本主義には道徳という要素はないから、法律に違反しない限り、何やってもいいことになり、その最大の悪果が単純労働者の派遣・請負システムを許したことであった。このために1700万人のワーキング・プアが発生してしまった。日本はアメリカに次いで先進国で第2の貧民層の多い国になった
さて、水野が指摘した重大なことは、新しい物語が始まったということである。
つまりこういうことだ。物価というものはもう上げられなくなった。これ以上上げたら売れなくなるという臨界点に達した。昔だったら、労働者の賃金が上がるから物価も上げるという言い訳が通ったが、それができなくなった。賃金も上げられなくなった。
そこで、企業はどう切り替えたか。資産価値を上げて儲けることに切り替えた。つまり土地に投資し、株価を上げることである。グローバル力のある国、アメリカなどはいろいろな手を用いて外国人の貯金を利用してもうける算段をした。
労働者も賃金が上がらないから、土地とか住宅とか株とか証券を買って収入を増やそうとした。
水野は、1970年代はGDPが1%上がれば株価も1%上昇し、1対1の関係だったが、2002年以降はGDPが1%あがったら、株価が12.1%も上がるようになった。一方、GDP1%上がっても雇用者所得は0.79%、つまり減少しているという。
これが「新しい物語」の始まりである。大きな政府はこのことをいかんともし難い存在になり下り、赤字で庶民を苦しめる存在になった。大きな政府がいいか、小さな政府がいいか、ということには正解はない。まったく新しい国づくりをしなければならなくなったわけである。
昔なら、会社がもうかったのは、従業員が頑張り、お得意さんが協力してくださったおかげです、と感謝の気持ちで、従業員にはたっぷりボーナスと賃上げで報い、お得意さんには値引きやリベートでお返ししたものだが、今では、「もうかったのは従業員のおかげではない。株価が上がったからだ、経営者の金融スキルがうまかったからだ、IT革命を導入したからだ」というのが経営者の開き直りになった。だから従業員などの賃上げなどはする理由がない。もっと首を切ればもっともうかる、というふうになった。これが新しい物語の始まりである。 Last updated 2008/12/21 10:03:13 PM
続いて「宋 文洲のメルマガです。第112号を送らせていただきますから吉見が抜粋したものです
どなたも分かっておられます。歴史に残る悪い年でした。そんなことをいまさら強調して読者と自分を暗くさせるのは損です。どんな悪いことがあっても新年は必ずやってくるのです。新年は旧年の終わりを告げ、新しい年の幕を開けてくれるのです。
世の中がもっと悪くなるとの予想が多い中、私は今年の新年ほど希望が持てる新年はないと思います。なぜならばそもそも希望とは悪いことが多い時に使う言葉だからです。これほどの悪い年が100年ぶりであれば、新年への希望も100年ぶりのものになるのです。
文化大革命は私の家族にとって不況の何倍も勝る不幸でした。私の母がいつも「この暗いトンネルに出口はない」と喘ぎましたが、父は必ず「出口は必ずある。目の前にないと見えないだけ」と言いました。
そうなのです。我々は出口が見えるまで出口がないと思ってしまいます。失われた10年のようにこれから世界が10年を失うと考える人が居るかもしれません。しかし、そう予想する人は昨年の今、一年先のことも予想できなかったのですから。
私の予想も外れました。私も今後の予想に自信が持てません。しかし、私には確かなものがあります。それは新年への希望です。新年は確実に昨年を過去にしてくれます。新年は確実に予想ができないほど変わります。悪い方向にではなく良い方向に。
皆様に心をこめて、「どうぞよいお年を」 (終わり)
[ 更新:2008-12-31 15:02:00 ]