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経営コンサルタント吉見からのお知らせ

五木寛之著「他力」

最近疲れと体調不良で落ち込んでいたら、自称北海道応援団長K社のT社長よりこの本を薦められた。「応援団長の言葉として読むように」とのメッセージがあった。この本は8年前に前職の退職挨拶に伺ったところでも薦められ、読むように貸して下さったものでもあるが、当然ながら内容はかなり忘れている。早速文庫本を買い求めて読んだ。今印象に残ったところの一部を書いてみる。(なお、引用文は吉見が一部省略しているので、本文そのものではない。)

1.手本と見本は違う
 そういえば手本と見本を厳密に区分していなかった自分に気づく。手本とはそれを見習おうとするもの、模範となるものだが、見本とはレストラン入口の蝋細工サンプル(一種のお知らせ)のように「美味しそう」「まずそう」とか見る側の立場で自由に感じ、判断し、自由に感想を言えるものという。創造経営では「行動見本」という表現があるが、これはあるべき模範行動ではなく、自分が生きる事例を自ら示すことだったのだと考え直した。自分はこういう生き方、働き方、姿形の表し方をするのだというメッセージを「行動見本」とするなら、自分が信じ、自分の今の力で見本を示すことで十分なのだ。あとは継続して磨きをかければいいだけだ。
 人は一人ひとり異なった肉体を持っており、異なった一生を送るたった一つの存在なのだから、例えいろいろなことがあろうが「自分の価値は他人との比較で決まるものではない。自分の価値は自分で決める。」それが自己責任であるなら、私は病気ではないものの心身が不安定になっていて、バランスが崩れていたようだ。確かに意図する様な成果は出てはいないが、「この状況でどうすると良いか?」というもう一歩しっかりした踏み込が行われていない。師走にあたり、自分を信じ、自分の力で自立するという強い意志を持たなくてはいけないことに気づかされた。

2.現実直視
 「マイナスの勇気、捨てる勇気を持って現実を直視なさい。直視するとは見たくない現実も見ることであり、物事を明らかに極めること。勇気を持って現実を直視し、その上できちんと認めること、それが確認ということ。」今回私が疲弊した関わるお客様の姿勢は、今ある社員の姿、社員のあるがままの心に目をそむけ、自分があって欲しいイメージとのギャップを埋める作業を私にも求めて続けていた。その希望に沿うように、なんらかの結果を出すように悪戦苦闘してきたが、経営者が他責ということは「自己批判が浅いと本物の反省に欠ける」わけだから同じことが繰り返されて当たり前。この当たり前の繰り返しに辟易しながらも対応し続け、疲れを積み重ねた自分がいた。

3.時間軸・空間軸
 「人は、過去―現在―未来の時間軸の連続の中に自分がいる。社会の広がりの連続の中にも自分がいる。」創造経営では「8種の人間関係」という表現をするが、私たちは縦軸(時間)・横軸(空間)の広がりの中で生きている。各軸の広さ、深さに個人差はかなりある。同じ時代を生きても一緒にならないから、「自分の生き方は物語(ドラマ)である」。生きる人の使命感の強さ、希薄さにより持続性も連続性も大きな差が出てくる。K社長は「すべてに期待しない人生観もある。自分に覚悟を決める。」ことを私に読み取るように教えてくれたのかもしれない。

4.感情
 「人は閉ざされた悲しみ、閉ざされた苦しみがある。自分の生命の重さが軽い人は人の生命も軽くなる。自ら進んで深くストレスを背負う緊張感も大事、一方ストレスを吹き飛ばすほどの心のゆとりも持ちたい。」会計では貸借一致の原則がある。「借方は見える(顕)勘定、貸方は見えない(幽)勘定」とは故薄衣会長の言葉だった。物事をつき詰めて見ていくと「見えるものは見えないものに規定されている、意識は無意識に規定されている。」事例を多く見出すことができる。見えるものに振り回されていた自分、ストレスを背負い緊張していた自分、それも悪くはないがストレスを吹き飛ばすほどの心のゆとりがなかった自分が情けない。でも、ここに気づいたことにより気持は随分楽になった。
 「人の感情はとても揺れ動き、とらえどころがない。強く歓び、深く悲しむ、大いに笑い、大いに泣くこと。深く絶望するから強い希望を持つ。」この点私の父は感情を抑え続けて一生を終えた。その父を見て育っているから、私も感情表現は自己抑制的であり、人との関わりは無表情にクールに我慢するのが常だ。父の13回忌にあたり、父の悲しみや苦しみを思い起こすこととしよう。
 「世界や地球や地域が危機に直面する時に、人間の存在そのものを大切にすべき。」地球温暖化(倉本聰氏は地球高温化というが)と金融危機と実体経済の混乱を前に、関わる人を切り捨てて自分だけが生き残る、自分の既得権を守るのではなく、共に生きていく人達と一緒に私は関わっていきたい。

5.信じること
 「信じることは認めること。」私の仕事先の多くが、赤字が黒字になり利益が大きくなるに従って、自分のことは「信じて欲しいし、もっともっと認めて褒めて欲しい」というが、関わった相手を信じて認めよう、還元しようという度合いがどんどん下がっていく現実がある。業績は自分で出した成果であることには違いはないが、自分がという「我」と「利(モノ・金)」の慾におぼれつつあるようにも見える。
 「委任と放任は違う。任せておいて他責が許される、まかり通る社会は異常だ。安易に任せることは自助努力を放棄することであり、自立していなことであり、自分が本来持っている能力が鈍くなることだ。」本当に責任転嫁する人は年齢に関係なく増えている。加えて親子夫婦-地縁・血縁―職縁を広げ、分かち合うのではなく、「孤=個」化していくようにも見える。ただ私のヒガミと言われればそれまでのこと。
 信じる基本単位は夫婦、家族からだと50歳を超えて確信する。夫婦は異性でありかつ20年以上全く異なる生活環境にいたのだから、一緒に暮らすとなると最初は対立しやすい。雑多な対立を一緒に乗り越えて、いろいろな血族・姻族との関わりの中で、共生できる方法、共存できる道を探って暮らし続けるものと思う。だからこそ夫婦の絆は強くなる。縁があっての夫婦、だから仲良くはキーワード。

6.克服
 「日本の日常生活がバーチャルリアリティ化(仮想現実化)してきた。子供の頃から幸福と文化的な生活が保証される、教育される結果、苦痛・寒さ・暑さから遠ざけられて育つから、自己免疫力が低下して他人の痛みが分からない。経済成長は損と得という価値観で測るデジタル化されたものだから、精神的支柱がない。それが積み重なると危険を感ずる心が失われる。」今はお上依存はやめて、ぬるま湯から出て、開拓精神を持って、魂を込めて新しいシステムを生み出す時となった。自分を信じ、自分の五感を磨いて、信じられる人との関わりを広げていこう。

[ 更新:2008-12-07 13:43:19 ]

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