無知は恥じ、知識は活かす!

「失敗学」の話を聞いた時、講師は「未知に対処する失敗は仕方がないが、無知による失敗は愚かしいことだから、無知は恥じるのが人の知性」というようなことを話されていた。

 辞書を引くと、無知とは、「知らないこと・知識がないこと・愚かなこと」とある。無知に陥らないためはどうするといいのだろう。少し考えてみた。
@事あるごとに自分の頭でも考える。電通の鬼10訓には「常に頭は全(フル)回転」というのがあった。年長者や上司の権威は尊重するが、マスコミも含め単純に盲信しないこと。自分自身で考えた結果、理解・納得して、人の言葉を受け容れるならOKとしよう。
A守りは大事だが、過去の経験にいたずらに固執せず、新しい刺激や変化も受け容れよう。この点は私も苦手ではあるが、最近は非常に変化が早いし、過去延長のモデルや経験が通じない時代となっている。これからどうなる、今度はどうする、という態度で進もう。
B自分を大事に、自分に自信を持ち、自分らしさ、個性を殺さないこと。関わる人への敬意や調和は必要だが、服従や隷属であってはいけない。我慢するのも相手と程度問題。
C知らないことは質問しよう。仕事で一番困ることが、分からないことを分からない、知らないことを知らないと言わず、我関せずと受け流す人の存在だ。仕事ではその人のところから綻びが出るし、その人のレベルで低位安定する。今知的対応レベルは、いろいろなところでより高いものが求められている。
D他人事、自分のことを棚に上げる、責任転嫁ばかりする人は、自分が当事者とはならないという意思表示。これは自分のこととして学ばないことだから、知識も経験も積み上がらない。自分がしっかり当事者となろう。

 確かに人は保守的であり簡単には変わらないし、変わろうと努力しても変わりにくいし、変わるのに時間がかかるものではある。だから同じことを繰り返す性質がある。本や記録や理科室の標本は過去のものであり止まっているものであるが、人の営む現実の世の中は、あいまいで不確定なものでもある。私たちが不確定要因の中にいるということは、やってみなければ分からないことが多いということだ。学び、無知を克服し、可能性のあるもの、自分がやってみたいことには、果敢に挑戦しよう。来年はそんな一年にしよう。


[ 2008-12-13 10:59:26 ]


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