昭和52年4月からのトヨタの新人セールスマン時代を思い返すと、札幌本社での研修はトヨタ本社システムというかとても私の理にかなっていて違和感がなかったが、現場に配属されるとそこは夜討ち朝駈けの精神論と経験則が充満しており、新人研修の内容とのあまりの違いに戸惑った。今となれば「当時はそんなの当たり前」だが、あの時は「世の中は理屈と別次元で動いている」と思った。新車の売り方を教わるのも、現場では最初は先輩との同行訪問が中心だった。
近年成果主義賃金体系などと言われ、営業の世界では成果=売上だから数字で認識できる。売上数字が伸びることが業績の拡大につながり、自分の評価につながるというシステムの中にいると、人に(特に仲間や部下・後輩)何かを教えることを警戒するようになる。私は後輩の面倒をみることも大事な仕事と思って30年働いてきたのだが、現実はどうもそうではないところもある。成果主義賃金体系などのような仕組みによるものと、その人自身の資質や価値観もあるのだろう。
経済新聞(11月24日働くニホン)を読んでいると「管理職評価要素の2割を部下の成長度とする」という会社も出てきたようだ。その記事には、増収増益企業の20%は「社員の一体感の高さが好業績の原因の一つである」と記載されていた。組織の良さは、個人の知識や能力が組織メンバーに共有され、異なる能力に中で融合され、自分が経験したことのない他人の経験を自分のものとできるメリットである。これは多いに活用すべきと思う。
またこの記事には失敗例として、「人事交流を減らし、個人の能力を報酬に色濃く反映したところ、協力し合うという風土が失われつつあり…」とも書かれていた。
大学サークルの延長のように組織運営ができると楽しそうだが、企業組織の現場では異なる性格と能力の人が集まり、共存できる風土があってこそ、その組織はますます強化される。私の経験では、異分子を吟味することなくすぐ排除しようとする組織は、少し長い目で見ると衰退していく。
自分がいる組織の中で、自分のやること(貢献できること)があり、自分の仕事に喜びを感じることができる人は頑張りがきく。ただ、最近の若い世代は豊かな時代に育っており、彼らの価値観で一定レベル以上の待遇と給与が与えられて当たり前という意識がある。彼らの意識と、中小企業の負担力との調和をどのように取っていくかの舵取りも実務では必要になっている。