家庭教育は必ずその結果が20年後に顕れる。その中心にあるのが、挨拶や後始末、食事の躾ではないか。(ミック研究所 佐藤先生の助言から)
ある企業の研修会などで若い受講生と昼食を一緒にとるときがある。その様子を見てみると、一部ではあるのだが箸がまともに持てない人、テーブルに肘を着く人、好き嫌いの多い人、「いただきます」を言わない人、おしゃべりをしながら食べる人がいる。こうした所にも素材の持っている資質が顔を出すように思う。
これ以外にも、挨拶トレーニングをしてもなかなか覚えない人、大きな声を出そうとしない人、仕方ない(やりたくない)という態度がありありの人もいる。 こうした生活習慣にも素材の良し悪しが現れる。
企業内教育でこうした躾レベルの教育を行うのはおかしいと言う意見はあるが、見方を変えるなら、躾レベルの教育が最も進んでいるのが最近では家庭より企業である。優秀な、元気な企業をみると、どこも拶や整理整頓清掃を、本当に徹底している。そうした企業内教育に乗れるかどうかが、素材が生かせるかどうかの見極めどころと企業の経営者は知っている。
年々小学校で給食費を払わない家庭が増えていると言う。昔ならどんなに貧しかろうが、給食費は捻出したものだ。また、小学校で給食の時に「いただきます」と言わせないで欲しい、と言う母親もいると聞く。給食費を払っているのだから言う必要はないと言うのが理屈らしいが、こんな非常識な親がいるから、素材としての大事な可能性を子どもから奪うことになる。
企業がいくら教育を行っても、企業内教育のねらいのひとつは選択だ。しつけられていない子は、あっという間に企業内で淘汰されてしまう。 20才を過ぎてからでは遅い。家庭教育は必ずその結果が20年後に顕れる。その中心にあるのが、挨拶や後始末、食事の躾ではないか。