今年も時間の流れが速い、もう9月も折り返し。今年もコロナ、コロナで一年が終わりそう。
最近思うことに、価値観が異なるままで、お互いが折り合おうとしない状態で、共生ができるのか? 組織の活性化は可能なのか? という疑問。
どちらかの価値観を尊重し、その価値観に沿った制度をつくろうとすると、運用段階で他方の価値観を圧迫することが多いのではないだろうか。
選択肢の多様化も、個人の自由意思での選択も、良さそうに感じるけれど、旧来の特定の価値観や限定された選択肢に基づいたルールを大事にしたい人たちの価値観を自分たちは断固認めないし、自分たちと相いれない価値観を排除しようとする動きが出る。
これでは組織の一体性は生まれない。
30歳代や40歳前後の人の中に、社会の動きと自分の発言を結びつけ、自己承認欲求を前面に出し、不満を声高に訴える人がいる。
関わる人たちと楽しいことを共有し、悩みや苦しみも共有できると、自分の弱さはカバーされ、心も落ちつけるとお思うのだが、関わる人たちと楽しいことを共有せず、悩みや苦しみも共有できるはずがないというスタンスでは、自分の弱さはカバーされることはないし、心も落ちつかぬままだろう。
こうやって自分から孤立していく人は、自分の弱みに付け込まれまいとし、議論で論破されることを恐れ、常に背伸びをし強がって生きる。
それは断定調の物言いや上から目線、相手に分からせようとしない切って捨てる対応や皮肉な口調となって現れる。
これでは人は離れていくだけだろう。
2019年8月31日の日本経済新聞の歌壇に 香南 中山昇様の作品が載った。
若者は「どう生きるか」を 老人は「どう死ねるか」を考える夏
[ 更新:2021-09-14 13:53:01 ]