おはようございます。今日も良いお天気の札幌です。
なんとなく読み返した清水一行著「小説 兜町」。書かれた時と今は時代が変わっていますが、気になる表現がいっぱいです。
「投資者にとって、株は高くなりさえすればいいようなものであるが、流通市場の正常な姿勢としては、何事も『過ぎる』ことの危険を考慮に入れておかねばならなかった」
→これは今でも当てはまりそうですね。
「資本主義的な競り合いの中にはちょうどいいという安定点など絶対にあり得ないはずだった」
→これも個人的に納得です。
「強大な資本力の無情さ」→これも実感ですね。庶民は蚊帳の外、庶民感覚と桁違いのお金が動いていますもんね。
「株はいくらからやらなければならないという公式はない。同じようにいくらで手を引かなければならないという公理もない。評価は主観です。相場の過程は結果を見てものを言うような訳にはいきません」
→まさにこのような世界なのでしょうね。
私は株を売り買いしたことはないのですが、あるお客様の「投資は自分の本業にするもの。そのリターンを最大にすることに取組めば、株式投資以上のうまみがある」という意見は説得力があります。実際、そのような結果を出しているから見事です。
[ 更新:2019-07-09 05:58:33 ]