佐藤先生の「いまさら聞けない部下育成」の中で、次の事件を取り上げていました。
警察官が家族殺害容疑で逮捕されました。いずれ動機が解明されるでしょうが、その根は案外に深いかも知れない。
・直接のきっかけとなったもの
・性格上の問題や心の病、ストレス
・生まれ育った家庭家族
・そこに育った潜在意識、衝動
・さらにその奥にあるもの
人はみな闇(ダークな)部分を持っている。因果・・・
これを読んでいて、団藤重光氏(元最高裁判事、私の学生の頃は刑法の権威で、書かれた本は司法試験の基本書と言われていました)の「人格形成責任論」というのがあったのを思い出しました。
以下は法律書の内容ですから、興味のない方は無視して下さい。
団藤重光著 刑法綱要 総論
一 責任の基礎より
一定の事実が構成要件を充足し、かつ違法性を具備するものであっても、その事実についてその行為者を非難することができるのでなければ犯罪は成立しない。
かような非難ないし非難可能性が責任である。犯罪が成立するための第三の要件である。
●責任の本質として道義的責任論と社会的責任論
・道義的責任論
個々の行為における悪い意思に非難の根拠を認め、このような見解を行為責任論または意思責任論という。
・ 社会的責任論
個々の行為ではなく行為者の性格(社会的危険性)に責任の根拠を認める、性格責任論である。
・団藤理論とされる「人格経営責任論」
道義的責任論の立場をとりながら、当の行為だけではなく、その背後にある人格に責任の基礎を認めるものである。
団藤博士は「犯罪行為は行為者の人格の現実化である。それは社会的危険性の徴表―あだかも病気の症状といった意味での―ではなく、人格の主体的な現実化に他ならない。犯罪行為は一定の性格の自然必然的な流露ではなく、人格の特性に従いながらも、種々の内的及び外的条件のもとに、行為者が他の可能性を排除してとくにその可能性を選択することによって行われるものである(人格の自発的・目的論的要素)。
犯罪行為は、その背後に行為者の潜在的な人格体系を予想する。これを切り離して行為だけを論じることはできない。しかも、かような背後にある人格も、素質・環境による重大な制約を受けながら主体的に形成されてきたものである。われわれの人格は、ある程度までは、自分じしんの主体的な努力によって形成していくことのできるものである。・・・・・反面からいえば、素質・環境が人格形成を必然的に制約する面においては、非難を減軽・排除する方向に働く。
行為における人格態度把握のためには、過去における人格形成をも取り上げなければならない
★この本には、赤線が引いてあったり、書き込みがあったりで、結構真面目に勉強していた学生時代を懐かしく思い出すことができました。
[ 更新:2017-11-13 08:44:00 ]