デカルトの「仮の道徳」 池田晶子著「考える人」より
デカルトは「実生活にとっては、きわめて不確実とわかっている意見にでも、それが疑い得ぬものであるかのように従うことが、ときとして必要であると、私はずっと前から気づいていた。」これを「仮の道徳」という。」
池田晶子さんはこれを受けて「私には、一生涯がそれによって過ごされるだろうことがあらかじめ予想されている」とされます。
今と同じような人の姿があって、面白いですね!
池田さんはかなりの論客で、私の理解の及ばないことが多いのですが「信仰に論証はあっても無くてもいい」とされます。
それは「トマス・アキナスは『人間性によって検証されることなら、わざわざ信仰するに値しない」を引用し、次のように持論を展開します。
「世界」が社会もしくは物質とイコールなら、私たちは科学と処世術さえあれば十分ではないか。
思想となると、人は自分に実感できないものは誤っているか不要であると断じたがる。
⇒この点は私も共感できます。
さらに池田さんは
「美しくない魂が、美しいものを認識できるはずがなかった」
「人間はその人間が語るところの人間である。『しょせん人間は』と語る人間は、しょせんはそういう人間なのである」
と手厳しい。
[ 更新:2017-11-09 09:02:24 ]