自由主義、個人主義は、今や利己主義(自分中心主義)に変質
6月初旬、久しぶりに苫小牧で市営バスを利用しました。普段はマイカー利用ですが、この時はお酒も入る予定があり、帰りはタクシーに乗るとして、行きは久しぶりにバスに乗ってみました。時間帯から、学生や退勤客で結構込んでいましたが、何気なく後ろの方を見ると、二人掛けの席の真ん中に若者がどっかり座り、自分の荷物を両脇に置き(特に大量の荷物にも見えなかった)、誰にも座らすまいという雰囲気がいっぱいでした。停留所を通過するたび増える乗客に、学生達はにぎやかにさわぎながらも、「俺たちもつめようぜ・・・」と言いながら、少しは協力的に空間を作ってくれていました。その声が聞こえたかどうかは別に、その若者はそばに老人が立とうが無視。それからさらに二つほどの先の停留所から、かなり年配で足の不自由な男性が乗ってきて、その若者に「荷物をよけて、わしに座らせてくれんか。」と声を掛けられ、しぶしぶ座席を詰めていました。
その若者の親はきっと私の年代の年齢と思います。親はどのように躾をしてきたのだろう、子供として何を学んできたのだろうと考えてしまいました。よく言われることですが、第二次世界大戦で日本が敗れ、アメリカ主導で自由主義、個人主義が与えられましたが、ヨーロッパのように権利闘争も経ていないし、キリスト教文化のバックボーンもないままの自由主義、個人主義は、今や利己主義(自分中心主義)に変質して受けとめている層を増やし続けているのですね。登り坂と下り坂の数が同じように、権利と義務も同数です。社会人であるなら、学生とは異なる、果たすべき役割や責任があるはずです。少なくとも他人に迷惑を掛けない、お互いが少しずつ我慢をする、個人の能力に応じて社会のために尽くすという風潮を復活させていかなくてはなりませんね。改めて、この必要性を痛感いたしました。
民主党代表の小沢一郎氏が瀬戸内寂聴さんと対談されたときに、小沢氏が「日本の国民は目先の銭金しか興味がなくなっている。こんな事をしていたら、日本は本当に終りだ。人づくりをやり直さなければいけない。人が生まれて大人になって、結婚して子供を作るまで30年くらいかかるから、やりなおしには30年かかりますね。」と言うと、瀬戸内さんは「いやいや100年かかりますよ。」とおっしゃったとありました。同じことを、創造経営の創始者の故薄衣佐吉先生が生前お話されていたことも、改めて思い出しました。
[ 更新:2006-07-09 10:55:36 ]