教育関係に籍を置く人にとって、1981年は戦後教育の転換点の年だったそうだ。校内暴力は過去最高、学級崩壊という言葉がポピュラーになり、不登校児童が激増した年だったという。今年2009年から学習指導要領が一気に難しくなる。その枠組みに入れられる子供たちが、どのように学び、育って5年後、10年後社会に加わってくるのか注視していきたい。
暮れの新聞記事にJMR創造研究所の発表として、「現在22〜31歳世代は、バブル崩壊後に10代を経験したため、社会への期待は低く、人間不信と自己本位性が強い。雇用や所得の不安にさいなまされ、携帯電話やインターネットというより便利なツールが出現したことで合理性を追求する。表面的に人と調和し、いじめられぬよう、目立たぬように空気を読みながら抜きんでないように振る舞う結果、突出したリーダーが作られなくなる。これは変化に弱い組織メンバーを生むことにならないか。」というものだった。工業製品ではなく人のことだから、単純な当てはめはできないが、みなさんの会社の現在22〜31歳世代を見回すとどうだろう。
私の経験でも、人間関係は濃密すぎるとうっとうしいのだが、逆に希薄であると孤独感や疎外感が募るものだ。私の現在の仕事の関わりでは感じないのだが、聞くところでは人減らしで既存社員の仕事量は年々増加し、サービス残業や早朝出勤、持ち帰り残業がさらに増えているという。私も会計事務所勤務時代はその連続の中にいたが、退職前はさすがに心身が擦り切れていた。最近は当時よりもさらに度が過ぎるケースが増えているようだ。ノルマに自腹を切る自爆営業の話も年末は耳に入ってきた。アルバイトやパートにまでノルマを求めるにしても、節度があると思うのだが・・・
私の親の時代は滅私奉公、会社のためが生活のためでもあったが、豊かさの中で育った世代は「自己実現を目指し、私らしく生きがいを持って働く」のが当たり前なのだろう。しかし企業には職場固有の組織のルールがあり、簡単には学生のイメージとは両立しないものだ。その中で世代の異なるお互いが折り合うには、小さな一歩を踏み出そう。自分のことを大事に思うように、相手のことも少し大事に思う努力をしよう。朝は、相手の顔を見て、声を掛け合う場をつくろう。小集団では、率直な対話、腹を割って話す場が必要なことに時代の差はないだろう。世代による表わし方が異なるだけだと思いたい。