格差と能力主義

大変ですが個々の企業に一番似合う、新しい能力主義というシステムを構築することにチャレンジしましょう。

 19年3月上旬の経済新聞にコラム「大機小機」にペンネーム文鳥氏が書かれていたことですが、人間が不満を感じる時の一つが、仕事の能力で自分と大差がないと思っている人が、自分より高い評価を受けた時。もう一つは、自分より劣っている人が、低い評価を受けているのだが、自分より楽な、苦労のない生活をしている様に見える時とありました。確かにそういう面はあるでしょうね。社会学者のジャック・ヤングという人がいて、「排除型社会」という本で、全社を上向きの視線、後者を下向きの視線によって生ずる相対的な剝脱感と表現しているとのことです。難しい言葉ですね。
 私たちの周囲を見渡すと、大した能力はないのに、親からの遺産や時の運、同窓のコネクションで余裕のある生活をしている様に見える人はいます。確かに、嫉妬心を感じることはありますね。一部の公務員さんですが、努力と苦労に比例しない収入を得て、既得権を守るどころかさらに広げようとする人たちには不満を通り越して、憤りさえ感ずる時もあります。この場合、あきらめるといいのか、自分の処遇を実力と納得するのがいいのか、人により様々でしょうね。
 では、能力主義が徹底されるとこの問題は解決されるのでしょうか。自分の能力を正当に評価して欲しいという気持ちや、正当に評価されていないという不満はあるでしょう。でも現実には、例え能力が同じでも成果が同じという保証はありません。時には個人の力を超えた、運やタイミングなどいろいろな要素が介在することでしょう。安易に成果だけを見て、きっちり評価するリスクがここにあります。
 高度成長期に年功序列が機能していたのは、年功と仕事をする能力の間に納得できる関係があり、自分もその年齢なれば同じ処遇を享受できた現実があったからでしょう。産業構造のサービス化やIT技術の普及で年功序列が崩壊したというなら、それに代わる新しい能力主義を早急に開発し構築する必要があり、成長率や生産性を上げるだけでは、格差の是正も格差に対する不満も鎮まらないだろうという意見は納得できます。大変ですが個々の企業に一番似合う、新しい能力主義というシステムを構築することにチャレンジしましょう。

[ 2007-03-11 16:32:47 ]


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