部下に対して、ほめた方がいいのか、叱った方がいいのか、どちらが効果的か質問されることがある。部下の扱い方はなかなか難しい。ほめるとつけ上がる、叱るとシュンとして何もしなくなる、一体どうしたらいいのか、などと言われる経営者もある。
心理学者で、このような疑問を解くために実験をした人がいるそうだ。グループを三つに分けて、どれにも同じような単純な仕事を与え、終わった後で第一のグループは結果のいかんに関わらず、よく出来たとほめる。第二のグループは全員に対して、もっと出来るはずだと思っていたのにと叱る。第三のグループは、ほめも叱りもしない。そうして翌日はまた似たような課題を与え、前日よりどの程度進歩したかを見る。そうすると、二日目は叱ったグループが一番よく進歩し、次はほめたグループ、何も言わなかったグループ、ということになる。ところが面白いことに、これを続けてゆくと、ほめるグループは進歩の上昇率が高く、叱るグループを抜いてしまう。人間は叱られると、一度は頑張るが、あまり続くと――それでも上昇するそうだが――上昇率はそれほどでもなくなる。何も言われないグループは、前二者に比べると上昇率は一番よくない。叱ってばかりいる方がまだましだ、というわけである。
この実験は単純な課題に対して行ったので、課題の種類によっては結論が異なるかもしれない。それにこの実験には、ほめたり叱ったり、というグループは含まれていない。おそらく正解は「適切にほめ、適切に叱る」のが一番良いということになるのだろうが、この「適切に」というところが実に難しい。それではどうすればいいのだろうか。
私は、ほめるにしろ、叱るにしろ、そこに自分の個性が生きているとどちらでも良いと考えたい。部下をほめることに一生懸命になりながら、嫌われている幹部もいるし、叱ってばかりいるのに、結構部下に尊敬されている幹部もいる。思い切ってハウ・ツー式に言うと、やっぱり先に示した実験にもあったように、ほめることを心がけること。褒められて嫌な人はいないからだ。
ただここで大切なのは、相手の存在を認め、相手のいいところを出来るだけ見つけてゆこうと姿勢である。相手の長所を見つめることでもある。
時に、自分の部下には、本当にほめられるようなところが一つもない、と答えられた経営者があった。厄介者の部下の中にはそんな人もいるだろう。確かにその部下を、他と比較してよい点を探そうとしても何もないかも知れない。しかし、その部下のしていることの中で何か良いところはないかと思って見ると、案外見つかるものである。他を標準にせず、その人の標準の中でよい点を探すのは大切だ。
このようなことをするためには、我々は部下をよく見、よく知ろうと努めなければならない。そのような努力こそが部下を育てるのではないだろうか。ただ、「ほめるのがいいそうだ」ということで安易になるのではなく、ほめることを通じて部下を知り、また自分という人間を部下に知らしめることになる。人間と人間の触れ合いに至る道を、ほめることの中から見出してくることが大切であると最近改めて感じている。