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9月22日の雑感(平等)

先日のある社長の嘆き。 「平等」というものの感覚が、社員と違い過ぎる・・・というものでした。 さもありなん、と感じます。

私の使っている国語辞典では次のように解説されています。
「平等」とは、一律に等しく、偏りがないこと。
「公平」とは、判断や行動が公正で、えこひいきしないこと。
この、「平等」と「公平」が混同されているケースも結構あるのではないでしょうか。

ふと、40年前の学生時代に使っていた、憲法の専門書や、戦後憲法の啓蒙書を引っ張り出しました。
そこでは、戦後憲法の平等主義を、次のように説明しています。
以下引用と抜粋です。
個人の尊厳を認め、その人格を重んずるという原理から、個人の自由と平等の原理が生まれた。
現行憲法は、第14条第1項に「法の下の平等」の一般原則を掲げた。
憲法で平等の原則がうたわれていても、実際の人間社会では、各人の間に、地位、能力、徳性、識見その他いろいろな点で差異がある。これは等しいものではない。そこで、実際に等しくないものを形式的に等しいとして取扱うのは、かえって不合理ではないかという疑問もある。
憲法で人と人とが平等(同等)だというのは、貧富強弱知遇の差という有様が等しい意味ではなく、法の下での権利が等しい意味である。

では、人間の間に諸種の不平等の存在することは事実でありながら、諸国の憲法で国民の平等を保障する意味は何か?
■大原則
人間は、人間として価値に変わりがなくすべて平等であるという、根源的・積極的意味が含まれる。
■消極的意味の平等
個人の人格そのものの平等であり、各人の人間としての共通の事実に基づくもの。これは、根源的平等と異なり、すべての人に、あらゆる場合に認められるとは限らないし、そのような扱いは不可能であり、適切ではないとみなされる場合がある。

〇実定法の規定には、考慮してはならないとされる不平等と、考慮することが認められる不平等がある。例として、成人と子供、男性と女性など、均一の取り扱いが不平等な結果を生むことはある。

〇正義の原則は、等しき者は等しく扱うというもの。このことは、等しからざるものは等しからざるように扱うべしとなる。
不平等の押しつけは社会不安になることもある。

〇均分的(平均的)正義と配分的正義
⇒ここでも、どちらを優先するかで、議論がかみ合わなくなると思います。
▽均分的(平均的)正義は、機械的な平均または同質同量の配分。例、一定年齢に達した場合の選挙権の取得。
▽配分的正義は、差異があるものには、それぞれの能力や分に応じて分配するという考え方。悪平等を排して正義を実現するには、ある種の差別は当然かつ必然的に生ずると考える。例、所得税の累進課税制度は試験の合格や不合格。

〇現実の問題として「法の下の平等」が社会的・経済的な場面では、あるいは私人相互間の関係では、実質的な平等を保障するとは限らないことですね。
以上、引用、抜粋終了

現在も、財産、収入、教育による差は広がっているとも言われています。水戸での学生時代を思い出しつつ、ついつい読みふけってしまいました。
一部ですが、今回引用したのは次のものからです。
憲法Ⅰ(統治機構)清宮四郎著 有斐閣   憲法講話 宮沢俊儀著 岩波新書  憲法を読む 小林直樹著 岩波新書

[ 更新:2017-09-22 08:59:36 ]

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