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経営コンサルタント吉見からのお知らせ

宗教は必要ですか?

人に強要はしませんが、宗教は必要と感じる時はありますし、宗教に教えられ助けられたことはあります。だから私は宗教を否定しません。

経営者面接で、おうちの宗教をお聞きすることがありますが、若い経営者は圧倒的多数が「無宗教です!」と即座に回答されます。あなたの宗教ではなく、親御さんの宗教は?とお聞きすると、過半数以上が明確に回答できないのが現実です。良いとか、悪いとかではなく、こういう時代になっています。
かつて一緒に仕事をした部下に限定しますが、無宗教でもいいのです。私自身、宗教にまったく興味を持てなかった時期はありましたし、特に若い時期は理系の合理精神が優先でしたから、その気持ちも分かります。
ただ、宗教の話を真っ向から否定し、宗教的な話に一切耳を貸さなかった部下たちは、かなり早い段階で辞めて行きましたし、仕事の質もお世辞にも高かったとは言えません。相手を認めない狭小さが、一緒に仕事をしてのやりにくさでした。

浄土真宗 親鸞会のホームページに http://www.shinrankai.or.jp/qa/qa0105.htm
「現代人には、信心などいらないのではないか」という質問に対し、次のように回答していました。
>引用開始
私たちは、何かを信じなければ生きてゆけないからです。信心とは何かを信ずることです。
言葉をかえれば、頼りにする、あて力にするということです。
妻は夫を信じ、夫は妻を信じ、親は子供を頼りにし、子供は親をあて力にして生きております。
その他、自分の体や生命、金銭や財産、名誉や社会的地位など、何かをあて力にして人間は生きております。
生きるとは信ずることなのです。だから、すべての人は何らかの信心をもっているのです。
他人から見ればつまらないものでも、信じている人からいえば信心です。
特定の宗教の、神や仏を信ずることだけが信心ではないのです。
私たちは、ただ生きているのではありません。すべての人は、苦しみ悩みを厭うて、幸福を求めて生きているのです。
では、苦しみ悩みはどこから起きるのかと考えてみますと、信じていたものに裏切られると起きるのです。
病人の苦悩は、健康に裏切られたからであり、夫婦の悲劇は、夫や妻が信じていた相手に裏切られたからです。
子供に裏切られた親、親に裏切られた子供。家の子にかぎってと深く信じていればいるほど、裏切られた親の苦悩や怒りは大きいのです。
これらでお分かりのように、私たちは何かを信じなければ生きてはゆけませんが、やがて裏切るものを信じて生きるということは、ばかげたことです。では、この世で生命かけて信じても、後悔しない、絶対、裏切ることのないものがあるでしょうか。
親鸞聖人は、こうおっしゃっています。
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、万のこと皆もって、そらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします(歎異抄)
“この世のすべては、必ず裏切る。そらごと、たわごと、真実は一つもないからだ。ただ裏切らない真実は、弥陀の本願念仏のみである”
<引用終了

[ 更新:2016-09-28 11:45:09 ]

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