数年前からだろうか、いな10年以上前から現れていたのかもしれない。生きる、働く意味、目的を、私の両親や祖父母の世代感覚であるなら、という感じで表現すると、「宗教的で信じがたい。」「宗教的な色彩のモノはごめんだ。」という反応が増えている。
私のお客様に宗教法人がある。毎月2度訪問しても、仏教の教えの話はそう出るものではない。確かに専門用語は説明いただくことを必要とする場面が多い。住職からうかがうお話には、皆がこう生きると人間関係はギスギスせずにいいだろうと、私は素直に同調する。
経営の3要素の一つに「共通目標」がある。取引関係、人間関係の中にあっては、自己の目的を完遂したいし、関わる相手も目的の完遂を望んでいる。仏教では「上に向かっては理想を実現し、下に向かっては衆生を幸福に導く。」と教える。日本の経営も同じではないだろうか。
人間が日々の生活の反復の中で、何らかの行動・実践を通じ、個人の、あるいは関わる組織の目的・目標・理想実現のために生きて働くわけだから。人は誰でもその人らしい信念や体験を持っている。多くの人はそれらを活かして、同じ失敗は繰り返すまいとして、向上すべく日々工夫をしている。
宗教が云々という前に、折にふれ働く意味、自分の存在意義を自問自答するのも大切だ。
[ 更新:2008-09-18 08:03:25 ]