ご縁をいただきました皆様へ
今日4月3日、札幌では積雪ゼロと発表されましたが、日陰や冬に雪の積み上げられた所の雪解けにはもう少々かかりそうです。
ここに吉見事務所通信4月号を送付させていただきます。
昨夜東京から戻りましたが、車窓から満開の桜が見えました。咲き誇るソメイヨシノは、北海道に住む私はなかなか見る機会がなく、久しぶりに見たような気がします。北海道では、多くがエゾ山桜です。色鮮やかですから、こちらもきれいですが、もう一か月待たなくてはというところです。
昨日の空港では、入社式を終えたらしいスーツ姿の若者グループが、優先席に陣取り、学生気分で大騒ぎをしておりました。
彼らがどう育っていくのか、彼らをどう育てていくのか、結構大変そうと思いながら同じ飛行機で帰って参りました。
降りるときには、機内で別の知り合いと会ったようで、通路の途中で立ち話を始め、長い後ろの行列に譲るでもなく・・・
私の年代から見ると、まさに子供たちの年齢ですから、心の中でため息をつきつつ何ともいえぬ思いで見ておりました。
世間では流動化と言われて久しいのですが、そうは言っても定着率をある程度上げ、年功に伴うスキルアップ、キャリアアップが進む(ゆっくりでも常に成長する)仕組みを社内に作っていくことは重要ですね。その仕事を受けましても、困った中高年を多く抱えた企業の再建は、正直かなり難儀します。重くてなかなか動きませんし、動いてもすぐ止まってしまうからです。体が動かないのに反し、口の動く人が多い(言い訳や責任転嫁)時もあります。その点、経営者は高齢でもフットワークの軽い人が多いし、好奇心、探究心旺盛な人が圧倒的ですね。
昭和52年に私が入社した時の札幌トヨペット専務(当時)加勢様の訃報が先月出ておりました。また昭和62年より創造経営の指導をいただいた公認会計士の中森先生も1月に亡くなられ、改めて歳月の流れを感ずるとともに、人生を折り返している現在、「しっかり学んだことを、教わったことを、今実践しなくてどうする」という思いを新たにしています。
新しい人材を迎える時、社内を変化させるチャンスの時でもありますね。このタイミングをうまく利用したいものです。
追伸
今回数年ぶりにJAL{日本航空}を利用しました。私が若い頃利用させていただいたとき、お高さを感ずることが多かったものですから、普段はJALの利用を避けています。経営の問題も新聞紙上で取り上げられることもあるJALですが、今回は利用客に対する一生懸命さを感じさせるスタッフが随分増えたという印象を受けました。20歳代後半から30歳代に一番それを感じたでしょうか。
心は表に出るものですね。創造経営では「心をこめて」という表現を多く使いますが、相手を思う言動は重要ですね。素直に見習おうと思いました。
【組織:学級崩壊から学ぶ】
先月紹介した通学路評論家の池田さんからのお誘いで、1月16日ですが札幌市教育文化会館で都留文科大学大学院教授河村茂雄先生の研修を受講しました。教職員向けではありますが、今の子供達が10年経過すると社会人として企業に入って参ります。学級崩壊とか言われているけれど、現在の教育現場の様子が分かればいいと思い出かけました。以下、河村先生のお話を紹介します。企業の組織作りと同じと感じています。経営者、管理者の方は大いに参考にして欲しいと思います。
「学級という集団の中で育つものは何かというと社会性の体得です。集団とは作っていくもので、単なる人の集まりは群衆と言います。集団は、ルールやマナーを共有している人の集まりです。ルールの共有には初めが肝心です。最初に繰り返し、繰り返し教えなければいけません。その前提に地域のマナー教育の土壌があることが望ましい姿です。人は一人で生きているわけではありませんから、自分らしさが全面に出過ぎると普通ぶつかります。それを避けるために人は折り合うわけです。ここ15年を振り返りますと、1991年には不登校は誰にでも起こりうる状態になりました。この頃の不登校児童は対人関係に難があり起きています。1996年には学級崩壊が起き始めました。これは遊び型の不登校児が増えたことにより起きた現象で、現在に継続しています。2001年以降は、七五三現象と言われる学生の就職と離職問題、ニート・フリーター問題となって表れていると見ています。
都会生活はつながりのない中で生きる社会です。距離を置いて生きる社会でもあります。人間関係を地域の中で学べない現実があります。ですから、学級での同級生も、たまたま一緒という意識ですから、仲間や集団となっていないのです。自我の成熟が遅いのが今の子供たちです。自分に自信が持てないから周囲に同調します。ですから、学級はバラバラです。集団は成熟もしますし退行もします。常に成熟できるのは、自我が確立している集団のみです。自我が未形成の場合は、集団は崩壊していきます。最近、毎年クラス変えが行われるのも、慣れ合いや積み上がりがない学級をリセットするためです。この中で教師は、育成しながら動かす、動かしながら育成しなければなりません。何をやっているかに加え、どのようにやっているかが問われます。後手に回ると、マイナスをゼロに戻す作業ですから、教師はマン・ツー・マンのエネルギーが求められます。
いじめは目に見えないところで起きています。学級崩壊を教師のタイプ別に見てみます。管理型の教師では、教師に認められる子と認められない子の開差が出ます。言い方を変えると、できる子とできない子が分かれますから、子供同士の承認ができにくいことからいじめが出やすくなります。このタイプの教師は、子供を容認する場を作る工夫が求められます。慣れ合い型・優柔不断型の教師の場合は、自己主張できる子の満足度が高い傾向があります。少人数でも責任感の強い子がいるといいのですが、最近は稀ですからこの場合は小グループ化します。不安からグルーピングをし、各グループが共有の敵を作り対立していきます。この場合目立つ子がいじめられます。いじめられるグループは流動的で、グルグル変わります。この場合、子供を褒めることでルールを定着させていきます。叱ることは全くの逆効果となります。」(この要約の文責は吉見にあります)
*注意:前にもコメントしましたが、文中の企業事例は、社名のないものは事実に創作を加えてのご紹介です。守秘義務がありますで100%事実ではありませんことを踏まえてお読みください。
【マーケティング:顧客開発の前に】
ライフサイクルが短い、売れ続ける期間が短くなったと言われて何年になるでしょうか。ライフサイクルが短いということは、売りたい商品に無駄が出ているわけです。過剰生産、過剰在庫、投げ売り、不良在庫、廃棄処分と利益が減る流れとなります。上昇気流の流れを作り続ける、追いかけ続けることも避けては通れませんが、大変なエネルギーが必要です。地域に根ざした中小企業は、地味なことで努力しましょう。得意先とのご縁を永らえ(永年ユーザーとする)、不良やロスをなくし、利益を生む工夫に磨きをかけ続けることがベースです。そして、「どうせ買うなら吉見屋で買いたい。」と思ってもらえるかどうかです。私たちは地域にどれだけ徹しているかが問われます。
こんなことがありました。人口10万人余りの市で、創業35年の会社に2代目が幹部として戻ってきたのですが、彼は札幌に住み、その市のお客様からの誘いや団体への参加をかたくなに拒み、通勤を続けました。5年経過した頃から、古いお客様が1社2社と減り始め、古い社員は「馴染みの得意先にもっと目を向けて下さい。」と2代目に懇願するものの、「我社の良さが分からぬ客は、客じゃない。」とけんもほろろだったそうです。最近聞いた話では、2代目がトップとなったその会社は、ここ数年、毎年1割ずつ売り上げが減り続けているそうです。これを横で見る70歳を超えた創業者の心境を思うと悲しくなります。
トップも技術者も、営業担当ではなくとも直接顧客の声を聞く仕組みを作るのです。現在新しい商品や技術、ノウハウであっても、5年10年後はさらに新しいものにとって代わられる可能性があることを肝に銘じましょう。その前提として、わが社の「固有技術」「中核技術」をしっかり押さえ、持てるその技術を顧客の問題解決に生かす姿勢を社員に浸透させるのです。顧客の要望に応えない企業の末路は哀れです。
【組織:対人関係】
最近の若者はとてもスマートですね。30歳代の人を見ても、私のその年代の時よりも、さらに若々しく格好いい人が増えています。仕事で中高年の社長や管理社員に悩みを聞きますと、「他人事、他人任せの風潮が強くて…」と言われます。人間関係というのは、結構どろどろしているものではないでしょうか。人間というのはかなり矛盾した生き物のような気もします。
社員が育たないという会社の上司を見ていると、部下としっかり向き合わないという共通性があります。自分の能力の自信のないところ、弱いところを包み隠して通そうとしています。部下も傷つきたくないから、当事者とならぬように振舞うようです。個人の力を引き出し、組織力に高めるには、リーダーは自分の弱さを認め、それを克服しようと努力する姿勢が、周囲の共感を得、協力を引き出すものではないでしょうか。
当事者になりたくない管理者は、すぐにルールを決めてくれ、社長から皆に指示・命令してくれと言いがちです。ルールを決めてもそれをしっかり守れない、指示・命令が貫徹しない組織風土に、いくら法規をたくさん作っても空文化するのみです。順番としては、ルールをいたずらに増やす前に、規律を重んじる組織風土をしっかり作りましょう。そのためには「基準行動」を徹底しましょうと常にお願いしています。もちろん私も一緒に取り組む企業もあります。
【組織:仮面職場】
「仮面職場」とは最近聞いた言葉です。職場に違和感や疑問を抱きながら「仮面」を付けて働き続けるということだそうです。私はこの経験がありますので、素直にそのような職場があることを納得できます。職場に違和感や疑問を抱きながら声に出さない、転職をしない理由はいろいろあることでしょう。今辞める訳にいかない人、処遇や環境にある程度満足している人、担当する仕事が面白い人、過去のしがらみに縛られている人など様々と思います。企業の側から見ると、潜在的な転職予備軍ですから脅威です。日経ビジネス2007.2.19のp32~33に、仮面職場ができた理由(アンケートから抜粋)が載っていました。ご紹介します。
(1)若手社員の言い分
デジタル世代とアナログ世代の違い。
「いい人」止まりの先輩や上司を仕事の面で尊敬できないし、ついていきたいとも思わない。
仕事に対する意欲(自分の目指すものに近づこうとするなど)が感じられない。このような姿勢を見るだけでこの人たちと意見交換する価値はないと感じる。
皆仕事が忙しすぎて心の余裕がなく、コミュニケーションも円滑とは言えない。とにかく疲れる。
どこまでが社交辞令かの境目が分からない。
先輩・上司からの話しかけが、後輩・部下からの話しかけよりも多くあるべきだ。
バブル期を生きてきた人間は、武勇伝とか「俺の頃は~」的な話がムダなほど多い。
プライベートまで踏み込んでくる職場関係なので、精神的にきつい。
最近パワハラが目立つようになってきた。
(2)上司・先輩の言い分
仕事に追われてコミュニケーションに十分時間が割けない。
若い人ほど仕事とプライベートを切り離し、自分の世界を作っていると思う。
自分の業務範囲内にとどまり、枠を広げようとしない部下への対応法が分からない。
最近の若手は誘いを簡単に断る。
メールでのコミュニケーションが増えてきているため、感情がうまく伝わらない。
若い世代のドライな考え方に我慢してつき合っていくことにストレスを感じる。
若い世代は自己主張はするが責任感がない。
若い世代は、自分から関わりを持とうとする姿勢が我々の頃よりなくなったように思う。
好き嫌い主義の子供が多いのは何ででしょうね。
今の私の年代となると、若手社員の言い分は自分の若いころの思いそのものですし、上司・先輩の言い分は私が税理士事務所退職前の10人のチームを任されていたころの思いと重なります。この特集記事では、「互いに相手を理解し信頼関係を構築したうえで仕事をすることを望んでいながら、若手は自分を理解しない先輩や上司に苛立ち、上司や先輩は『今時の若者』とうまく意思疎通が図れない現実に戸惑う」とありますが、今の私も20代の若手と仕事上接するとき、同様の印象を持つことが多くなりました。その中でも、男女関係なく素晴らしい若者も間違いなくいます。
今の若い人(20歳代)たちは、私たちの年代と異なり、経済的に恵まれて育った人が多く、与えられ、構われることが多いことに慣れてはいるが、叱られることには慣れていない様に思います。一方、30~40歳代の上司は、嫌われるのがいやなのか、自分の指導に自信がないのか、自主性を尊重していると言って明確な指導をしないケース、逆に高圧的な物言いで若手が自由に意見を言えない雰囲気を作るケースも見られます。
コミュニケーションの基本は、まず聴くことです。赤字基調の会社の会議に参加すると、上司でも部下でも人の意見を最後まで聴かず、発言途中自分の言葉をかぶせていく光景が普通にあります。そうではなく、まず相手を受け止めてしっかり聴く、聴き終えてから自分の意見をしっかり相手の伝える「対話」をすることです。そのやり取りにより、お互いの情報や知識を共有することとなります。その積み重ねにより、上司が部下を信用・信頼し、部下も上司を信用・尊敬する相互信頼関係が形成されていきます。相互信頼を担保するものとして、適切な評価制度による処遇、エコひいきや差別のない制度の運用があるのは当然です。この相互努力があって、組織に連帯感が生まれていくのではないでしょうか。
【組織:モチベーション】
(1)関心
あなたの職場の関心度合はいかがでしょう。例えば、社員の誰かが手首にサポーターを巻いてきた、あるいは急にマスクをしてきたとき、部屋に入ってから自分の席に着くまでの周りの反応はいかがですか。「どうしたの?」「大丈夫?」と声をかける職場ですか。無反応・無言の職場ですか。人は自分に声をかけてくれるのは素朴に嬉しいものです。家庭でも職場でも、人と人が折り合うのが人間関係。その基本が気づきと、声かけ(挨拶)ではないでしょうか。気(心)にかけ、言葉をかけ、スキンシップ(セクハラとならぬよう配慮は必要ですが…)!愚直に続けましょう。
(2)休暇
あなたの職場で、誰かが病気や急用で休んだ時、あるいは長期休暇の時、自然にフォローする体制は出来ていますか。私は書類の書き方に自信がなく、官庁(道の出先)の受付で「書いては来たのだけれど、この意味の解釈に自信がないので確認してくれませんか。」とお願いしたところ、「担当が休んで分る者がいないので、後日出勤し、確認をし、訂正の必要があれば連絡をします。書類は預かります。ご苦労さま。」と言われ、5年前に税務署に納税地の変更の書類をもらいに行った時は、電話に出て教えて下さった人が外出されており、上司と思しき人が書き方と提出先等々親切に説明して下さった経験があります。あなたの会社の対応はどうなっていますか。給与改定のお手伝いをした会社では、ある部門だけですが、管理者が担当部門の実務経験も実務知識もなく、部下が休むと仕事が完全中断という驚くべき状態の部署もありました。休んだ人の所属する部署の人たちが、階層に関係なくフォローする仕組みのある職場は連帯感が強まります。
私は勤務時代(退職前の3年ほどの期間)、「1週間、引け目を感じないで堂々と休める、助け合うチームにしよう。」「残業をいつするかは、命令ではなく自分で決めよう。」という目標で、チーム運営をした期間があります。残業時間は、命令による一斉残業から自主判断残業の方に変えて大幅に減りました。仕事の量と締切と進捗の管理をしっかり行い、その情報をチームで共有したことは言うまでもありません。1週間の休みは、男性は私と定年前の年長者と女性陣が有効活用いたしました。働き盛りの男性が休暇に踏み切れなかったのは、彼らがまだ独身で、彼らの直属の部下の若い女性は、自分が休む時は人のカバーをニコニコして得ながら、逆のときはその人の休みにカバーしてもらった半分もカバーせず、そのつけを男性がかぶっていたものです。彼女は注意をした時、命令した時はカバーの仕事をしてくれるのですが、自分からという姿勢は退職するまでありませんでした。感謝を知らず当然という態度に、自分の20歳下というのはこういうものかと思いつつ、歯がゆい思いでいたことを思い出します。それを放置して、自分の仕事としてかぶり続ける20代の先輩男性、30代の上司の優しさ(?)にも、少々呆れていたことも思い出されます。仕事の質を維持するには、できない人に期待するより、自分でやった方が安心という面もあったでしょう。「育成」と言葉でいうのは簡単ですが、育成する側とされる側の一体感が生まれなければ、歯車は噛み合わないものです。
【日本人の品質劣化:稲盛和夫氏】
「上質」な人間は、良識を備え、道徳心がある。そういう人が経営すれば、会社にも自然と品格が備わる。それに上質な人間は、周辺にもいい影響を与えます。日本人はもともと、非常に精緻で素晴らしいモノつくりの力をもっていた。一生懸命作った製品で、お客様が喜ぶことを誇りに思い、品質に対しても細心の注意を払ってきた。上から品質管理を押しつけられて仕方なくやっているのではなく、作業者自ら「不良品を出してお客様に迷惑をかける訳にはいかない。」と考えて実行してきた。これは作業者が上質だったことを意味し、上質な人が作る製品には品格が備わり、多少高くとも欲しがられた。
現在でも、百貨店やスーパーの売り場では、店員が親切に、一生懸命お客様の身になって尽しています。それは上司に言われたからではなく、上質な人間が持つ親切心があるからだ。国民全体の平均で見れば、日本人はまだまだ知識水準が高く、親切で勤勉である。子供から若年層、団塊世代に至るまで、改めて品格、品性を高めれば、あらゆる面で抜きんでた上質な国として再び胸を張れるだろう。(日経ビジネス2007.2.26.p52~56より)
[ 更新:2007-04-04 17:20:32 ]