今日車のオイル交換に行ってきた。社会人として最初に勤務したトヨタ系ディーラーの営業所で、自宅に近い店を常々利用している。退職してかれこれ30年経過、今日は見知った顔が一人もいなかった。歳月を感じながら、待つ間に学生時代(昭和48年)に買った本を読む。岩波新書「憲法と私たち」(出版は昭和38年)に民法学者の戒能通孝氏が「プライバシーの権利」と題して書かれている。私が買った時から35年の歳月を経ているが、最近の世相にも当てはまると思い、興味深く読んでいた。その一部を紹介したい。以下は吉見が要約しているので、興味ある方は本書をお読みいただきたい。
今日の苫小牧は幾分気温が上がり暖かくは感じますが、最高気温は20度に届かないと思います。
余談ですが、
4月下旬にサッシの戸車の交換修理をしてもらったのですが、5月上旬に請求書がないまま突然集金に来られ、請求書をくれるように頼むとその後なしのつぶて。
お世話になっている工務店の紹介先なので、今日確認の電話をすると話が見えず、営業担当が請求書も領収書も持たずに来られる。支払いする訳に行かないので、明日また来ていただくこととなりました。
利益を生み出せない、利益を積み増すことのできない、お客様が増えない、信頼関係が強まらない場合、このように小さなことが大事にされていないということが現場で起きていないかご注意ください。
今日車のオイル交換に行ってきた。社会人として最初に勤務したトヨタ系ディーラーの営業所で、自宅に近い店を常々利用している。退職してかれこれ30年経過、今日は見知った顔が一人もいなかった。歳月を感じながら、待つ間に学生時代(昭和48年)に買った本を読む。岩波新書「憲法と私たち」(出版は昭和38年)に民法学者の戒能通孝氏が「プライバシーの権利」と題して書かれている。私が買った時から35年の歳月を経ているが、最近の世相にも当てはまると思い、興味深く読んでいた。その一部を紹介したい。以下は吉見が要約しているので、興味ある方は本書をお読みいただきたい。
庶民に対し支配力を持ったのは家ではなく村であったのではないか。村では必要とする草木の刈り取りの管理条件、水の管理条件が決められていた。さらに租税は村の連帯納付であったから、村は無理にでも農民を働かせ、割り当てられた租税の払えない人が出ないようにする必要があった。故に村落生活を送っている限り、村の要求は村民を一人前にすること。村民を一人前にするために、若者組その他の規律があり、そこで一人前の基準が押しつけられていた。「一人前」とは、1日に田を何枚植える、草を何貫刈り、山までを何往復するなどを総合したものなどが基準であり、その基準をはずれたものは「なまけもん」であり、その基準やその基準を決める村の有力者に文句を言うものは「出過ぎもん」とか「与太もん」と呼ばれた。だから村落の支配者が村民に対して一人前の基準を守らせるには、他人の私生活をはぎ取り、村民の批判にさらすほかなかった。一人前でない人をできるだけ詳しく観察し、それを村民の話の種にすることによって、封建的村落の需要に合う人間を作っていた。
個人の生活をのぞき見し、それを話題に提供することによって企業利益を上げる産業が生まれた。政治や経済の事件を事件として報道したのでは売れないから、人の話に還元し、個人の私生活をできるだけ商品化する、その商品化によって商品であるところの新聞、雑誌、テレビを売る。その結果、大衆は真面目な話に興味を持つよりくだらない話に興味を持つようになっていく。これは現在の支配者層には都合が良い。政治には興味を持つな、政治にはなるべく関係するな、という原則を徹底的に教え込む歴史の事例がアメリカのマッカーシズムではなかったか。
私たちは、とかくくだらないことを話し過ぎる結果として、くだらない競争心をあおられている。私たち自身が他人の言葉にあおられ、そして他人の言葉におあられた結果、自分の運命を他人の手に任せたり、あるいは自分の問題を他人が解決してくれるかのように考え込んだりしてはいけない。私たち自身が、自己に対して決定的な影響のある問題の解決方法を、どうしたら自らの力で探し出すことができるか。そのためにはまず、くだらない話よりも重要な問題について日常の会話をする習慣を身につけたい。
今の時代を生きるのは、私たち自身一人ひとり。日々成長し、自立した社会人として、自律した仕事をしよう。社会は大きく変化しているが、しっかり関わって生き抜いていきたい。(平成20年6月17日)
[ 更新:2008-06-21 10:30:38 ]